甲斐バンド「LOVE MINUS ZERO」人生のバイブルとなっているアルバム

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思い出のアルバムとプロフィール

1968年生まれ 新潟県在住 男性 翻訳家
甲斐バンド「LOVE MINUS ZERO」

アルバムにまつわる思い出

「Love Minus Zero」は、1985年の作品です。

甲斐バンドと言えば、古くは「裏切りの街角」、「HERO(ヒーローになるときそれは今)」、「安奈」等のヒット曲で認知されている、ジャパニーズロックの先駆者的存在です。

その甲斐バンドが、最初の解散をする1つ前の作品であるこの「LOVE MINUS ZERO」。

当時、ブルーススプリングスティーン、ローリングストーンズ等を手がけていた世界的超敏腕エンジニア、ボブクリアマウンテンとのコラボレーションによって生まれた、いわゆるNY3部作の最終章です。

オリコンチャート最高位2位。1985年当時、非常に話題になったアルバムです。前作の「GOLD」、そして前々作の「虜」も、ボブクリアマウンテンによって手がけられ、それがNY3部作と呼ばれる所以です。

これら作品もそれぞれ名作として認知されており、チャートも常に上位、そしてなによりもボブによって創られた「音」のクオリティが、当時の日本の音楽シーンにとてつもない影響を与えました。

この音がとにかくスゴい。アナログ全盛期の1980年代初頭でこの音質は「ありえない」クオリティでした。

あのサザンオールスターズでさえ門前払いを食らった、このボブという人物。相当の職人気質で、自分のお気に入りのアーティストとしか仕事をしない、ある種の「芸術家」でした。

そのボブがなぜ甲斐バンドとコラボレーションしたのか。それは、甲斐よしひろの長年に渡る、猛烈なアプローチが実を結んだ結果によるものでした。

当時の甲斐バンドはいわゆるシングルセールスで勝負するバンドではなく、年に1度リリースされるかされないかの「アルバムの質」で勝負するバンドでした。

それまでのアルバムにも甲斐バンドらしさはあり、秀作も多かったのですが、こと「音」に関してはそこまで秀でていた訳ではありませんでした。

その状況に甲斐氏はジレンマを感じ、長年ボブにコンタクトを送り続けていたのです。

ボブが手がけるストーンズの音のニュアンスに近いものを甲斐バンドに感じたことが、彼らにとってのコンタクト・ポイントだったのかもしれません。

NY3部作の最終章のこの作品の良いところは、「アルバム全体を通した隙のなさ」「アルバム全体から伝わるスリリングさ」です。

詞は全曲を通してハードボイルド。男の世界。そしてサウンドは前年から加入したARBの元リーダー、田中一郎(Gr)の参加による、ギターアンサンブルのキレ。

さらには、ツインドラム、パーカッションによるリズム強化など。挙げたらキリが無いほどの、「捨て曲」無しの超名作です。

私の人生のバイブルとして、一生聴き続ける作品です。