八代亜紀「雨の慕情」自分のあだ名にまでなってしまった一曲

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思い出の1曲とプロフィール

1965年生まれ 大分県在住 男性 会社員
八代亜紀「雨の慕情」

曲にまつわる思い出

私は、今年50歳のおっさんです。今から30年以上前、私がまだ高校1年生の時のエピソードです。

私は小さい時から球技が好きで、小学生の時はソフトボール、中学生になってからは野球に熱中する、真面目な野球少年でした。

そして高校入学後も、中学の野球部仲間3人で野球部に入り、野球を続けました。

当時は、八代亜紀さんが大人気でした。「雨の慕情」、「おんな港町」、「舟歌」など、名曲と呼ばれている歌が多くリリースされた時代です。

その頃の野球部は、練習中の水分補給禁止!や、上下関係が極めて厳しく、下級生は上級生から言われるがまま。不当な要求にも応えなければ何をされるか分からない、という環境でした。

練習中に先輩の機嫌が良ければ、練習後は何事もないのですが、機嫌が悪ければ、練習後、1年生にそのうっ憤を晴らすべく、ダッシュ、腕立て、腹筋、ベースランニングマラソンなど、本当によく鍛えていただきました。

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そんなある日、朝からの雨でグラウンドは使えず、室内練習となりました。室内練習といっても田舎の高校ですから、ボールを使った練習が出来るような施設があるわけではなく、校舎内の廊下が練習場です。

そこで何をするかといえば、腹筋・背筋・足上げ、腕立てなどの、過酷な肉体改造メニューのオンパレードです。

そして練習が一通り終わり、解散かと思いきや、「1年生教室集合〜!」の掛け声がかかり教室へ。

そこで何をさせられたかと言うと、好きな曲を一曲歌え!の命令のもと、赤ペラのカラオケ大会が始まりました。

他の部員は、「水色のハンカチーフ」「カリフォルニアコネクション」などを歌ってました。

そして自分の番。「雨の慕情」歌いました。

ゼスチャーも入れました。歌は決して上手くはない私。恥ずかしさを通り超えて、無我夢中で歌った様な気がします。

歌い終わると、先輩からの「いいぞ!慕情!!」「慕情最高!」の声。この日以来、先輩からは「慕情」と呼ばれるようになりました。

あれから、30年以上。野球部の仲間との飲み会では「雨の慕情」のリクエストに応え、いつも歌っている大好きな曲です。